最初の病院でのリハビリ
 


 入院したこの病院は、診療科25科、入院病床650床、職員数758名の長崎県でも有数の大きな規模の病院です。また、五島、壱岐、対馬などの離島を多く抱える長崎県では、親元病院として離島で勤務する医師の教育をはじめ救急患者の受け入れなどの役割も担っております。したがって、ヘリポートも完備されており、ヘリコプターでの年間の搬送も160名にもなっています。

 一方、平均在院日数は21日で、皆さんそれほど長くは入院していません。言い換えれば緊急性の高い患者を優先しており、私も原因が解り、この病院でしかできない治療が終われば、すぐに転院しなければなりません。

 一方、リハビリ科は、すべての「科」に対応されているので、脳卒中関係だけではなく、手術後やけが、骨折のリハビリまで幅広く対応されており、どうしても時間や対応にも制約がでてしまうのは、仕方ないことと患者の目からみても解るような忙しさでした。そんな状態の中でも、今思えば作業療法士の先生には、適切に対応して頂き、ありがたく思います。

 日本に帰国してから、1週間後には、右手だけは、どうにか少しだけ動くようになりました。字を書いたり、箸を持ったりの細かい作業は出来ませんが、限られた範囲ではありましたが、動くようになってきていました。ただ、握れば、握りぱなしで、左手で外してやるような状態ですが、全く動かないときに比べれば相当な進歩です。

 足の方も、少しずつですが、冷たいや痛い等を感じ始めました。ただ感じるだけで、右手みたいに動くまでには、まだまだ時間がかかるような状態でした。 

 このような好転があった1つの要因としては、家内が、スペインでの入院当日から、1日何度も動かない手足のマッサージと運動を続けてくれたおかげも大きいと思います。後で解ったのですが、関節拘縮を作らないように家内の母親が電話で指示したそうです。(祖母も脳梗塞で、家内の母親が看病経験が豊富であったため助かりました)


 入院してから2週間目までは、リハビリ室まで車いすで出かけていました。最初にもらった課題は、平行棒の中を往復するもので、足だけで歩くことでした。たった5m程度の距離ですが、健常時の何十キロにも値するような距離に感じました。左足や左手、少し動き出した右手を駆使し、歩きますが、思うようには進めません。来る日も来る日も平行棒の中でのリハビリが続きました。

 最初の頃は、5分もすれば疲れてしまい、リハビリが続きません。自分でもどうしようも出来ない状態になり、椅子にへたり込んでしまいます。しかも、ここでは時間が制約されており、休憩時間の方が長くなり、そのまま病室に戻るときもありました。

 病室に帰ってからは、杖を使ってですが、できる限り廊下を歩く練習をしました。とにかく歩く、歩く、歩く、歩く練習を続けました。

 リハビリを初めて2週間を経過した頃には、リハビリ室までの移動も車椅子をやめ、杖を使ってですが、リハビリ室まで歩いていくようにしました。(病室からリハビリ室までの距離的も近かったため)

 ただ時間の経過とともに、リハビリについてもいろいろとわかってくると、発症後3ヶ月の急性期を過ぎると、緩慢な回復になると聞き、とにかく早くここを退院して、リハビリ専門病院に移らないといけないと焦りを感じてきました。

 ここで行ったリハビリは、平行棒内を歩くことと、床から立ち上がるリハビリが中心でした。(また、それ以上の事は、無理だったと思います)

     
   
     
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