いつもと違う年末・年始
 


 12月いっぱい週3日出勤の1日5時間勤務でどうにか過ごし、唯一、週末が来るのを楽しみにしてきました。一方、仕事の方は、申し訳ありませんでしたが、どうしても中途半端なことしか出来ませんでした。1日おきに出勤し、しかも少し風邪をひくと休んだり、勤務中に鼻血が出てきて早引きしたりと、確実性のない出勤で、当てにできず、予定なども組めない扱いにくい存在だったと思います。(会社や上司、同僚の方々には、ほんとうに申し訳ないと今も思っています。)
 
 仕事面では、本当に中途半端なことしかできない日々でした。一方、自分自身にとっては、体はしんどいながらも、ローンやリハビリの面でいいことばかりでした。加えて、完全な仕事復帰へ向けてのいいリハビリにもなりました。(本当に、申し訳ございません)本当に、振り返ってみれば、会社や周りの人間のことを考えると、大変な迷惑をかけたようです。

 どうにかこうにか、波瀾万丈な2004年も終えようとしていました。いつもの年の瀬は、家内も私も実家は大阪なので、家族3人で帰省していましたが、今年は私の体調から無理なので、長崎で過ごすことにしました。いつもは大阪にいるので、おせち料理や餅の心配はしたことがありませんでしたが、今年は用意しなければなりません。普段は、用意しないものだから、おせちをどうするかとか単純なことに悩み、カタログをたくさん取り寄せ、和風、洋風、中華風などなど迷いに迷いました。結局、おせち料理は和風の普通のタイプをホテルから、餅はちかくの餅屋から購入しました。

 そして、暮れも押し迫った12月30日には、家内と娘が福岡まで、遊び(家内のリフレッシュ)兼買い出しに出かけていきました。12月31日には、大掃除のじゃまにならないように、部屋の片隅に待避しながら、手伝うことも出来ず、ただただ申し訳ないようなそぶりを見せていました。夜には年越しそばを食べ、紅白歌合戦を見て、初詣となるのですが、この頃いつも11時までには、床についていました。この日も例にもれず、紅白も終盤になってくると眠たくて、眠たくて、最後まで見ていることができず寝てしまいました。あとで聞けば、紅白終了後、家内と娘は大村神社に初詣に行き、3時過ぎに帰宅し寝たそうです。

初詣に行った大村神社

 
 あけて2005年(平成17年)元旦、私一人6時前には目が覚め起床、正月独特の冷たくピーンと空気が張りつめた雰囲気が好きです。ただし、起きてきたのは私だけで、家内も娘も初詣で遅く寝たため夢の中です。前日、こらえきれずに寝るときに、雑煮とおせちは、家内と娘が起きてからねと言われていたので、正月の朝早くから、食パンにサラダといういつもの朝食を一人さびしくで食べました。

 朝食後は、いつものようにリハビリです。「一年の計は元旦にあり」で、正月からいつものように歩きます。その後、OTのT先生から教わった室内での自主トレをやり、最後に、必殺のストレッチポールでのクールダウンで朝の自主トレリハビリが終了します。

 初詣には行けませんでしたが、とにかく今年中には、通常どおりに仕事をし、休まず、毎日普通に勤務できることを目標にがんばることを祈念しました。

     
 
 
     
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