帰国道中と付添いのフランス人医師 |
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帰国の前日(9月11日)家内の宿泊しているホテルに、保険会社のパリ支店から帰国の行程がFAXで送られてきました。 付添のドクタームラも7時前には到着しました。最初に血液の凝固を防ぐ「ヘパリン」の注射を受け、家内が用意した注射薬剤等のチェックの後、車椅子に乗せられ病室を後にしました。朝早く、しかも休日であることから、見送りはありませんでした。救急車は、地下の駐車場で待機しており、結局最後まで病院を外から見ることは出来ませんでした。 病院を出てから30分もかからず、空港に到着しました。久しぶりに”しゃば”の空気を感じました。空港では、ドクタームラが全ての手続きを行い、家内の荷物まで持ってくれました。このドクター自体の荷物は、1泊2日で出張に行く程度の軽微な荷物でした。月に何回も、今日と同じように患者の付き添いをしているとの話でしたから、日常茶飯事の行動のようです。 最初の搭乗機は、パリ行きのA320で、保険会社はビジネスクラスを用意していてくれました。ドアからすぐの一番前の座席でした。大丈夫とは言われながら、最初の飛行機でしたので、上昇を始めたときは、大変緊張しました。頭は痛くならないかどうか、意識は大丈夫かと!ドクタームラもこの便の時だけは、指に携帯用の酸素濃度を測る計測器を付け、随時監視していました。1時間と少しの飛行でパリのシャルルドゴール空港に着きました。 そして搭乗の時、このソウル行きはボーディングブリッジではなく沖止めのため、バスでの移動後搭乗する、羽田で地方線に乗るときと同じ形でした。ここでもドクタームラが空港係員と交渉し、機内食を搬入するときに利用する、荷台が持ち上がるトラックで搭乗するように交渉してくれました。本来万国共通で搭乗するにあたっては、機首に向かって左側からしか搭乗しません。が今回右側ドアから初めて搭乗しました。 ソウル行きは、今日2度目の搭乗でしたので、バルセロナの離陸の時ほど緊張はありませんでした。ドクタームラも酸素濃度を測る機器を付けることもなくくつろいでいました。 さて、機内でのトイレですが、座席から7〜8mほどの近い場所にありましたが、やはり家内とドクター2人に支えてもらったうえで、杖を使ってようやくたどり着きます。もちろん立って出来ないので、座らせてもらってから扉を閉めてもらいます。困ったことに、シートベルト着用サインが点滅すると行きたくなります。ドクタームラには、申し訳ありませんでしたが、すべて対応してもらいました。 ようやくソウルに到着しました。本当に長い、いや長く感じる搭乗時間でした。パリでの出発が1時間あまり遅れたので、到着後の乗り換えが1時間を切っていました。旧ソウル空港は、15年前ぐらいにトランジットで利用しましたが、仁川空港になってから初めてで、元気であればあれこれ見て回りたいところです。印象としては、広く明るい空港という感じでした。行先表示版で「NAGASAKI」を見たときは、思わずあと少しという思いがこみ上げて来ました。 ソウルを離陸後、30分程すると眼下に対馬が見えてきました。対馬は長崎県です。ようやく帰ってきました。徐々に降下も始まり、私が住む大村市街が見えてきたときには本当に感無量でした。 入国手続きをまたまた簡単にしてもらい、到着ロビーに出ると、職場のE課長とM班長が出迎えてくれました。この時は本当に感動しました、スペインで入院中は携帯電話を通じて励ましてくれたり、今から向かう病院の手配をして頂いたいたり、ほんとうに迷惑をかけていました。涙腺が故障していたこともあり、涙を隠すため、家内にスグ便所に連れて行ってもらいました。 到着後、保険会社が手配していた救急車(マイクロバス的な大きさ)に乗り込み、日本での入院先の病院までドクターともども搬送されました。
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このページで海外闘病記は終了し、国内闘病記に続きます。 | ||||||
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