新年度になった
 

 

 我が社の4月は、各種業務や事業がスタートするとともに、定期異動があります。したがって、転勤があるのかどうか社員はハラハラ、ドキドキする月でもあります。入社してから、長崎県内だけですが、五島列島や島原、諫早など、今の勤務カ所まで8カ所を異動してきました。

  今の勤務課は、平成16年の4月からなので、まだ1年が過ぎたばかりですので、通常3年経過前後が異動の対象であることから、転勤はないものと安心はしていました。一番心配したのが、このような状況下での単身赴任でした。子供の受験もあるため、家内に着いてきてもらうことは無理な状況でしたから。
 
 結果、助かりました、思った通り、異動はありませんでした。しかしながら、担当する仕事の内容は大きく見直され、業務量も大幅に減らされ、助かったような、物足りないような、申し訳ないような、複雑な気分でした。まだこの頃、話をする時、頭の中では話すことが整理されても、言葉に発することができない後遺症が残っていました。

  かってのように、沢山の人の前での話やプレゼン、会議の司会等が出来ないことが、自分自身でもよく解っていましたからしかたありません。このような状況から、かかってきた電話を取ることも出来ません。口が廻らなくなり、相手に不愉快な気分をさせそうなので。

 この頃、毎日が憂鬱でした。そして、何よりも感じたことは、本当の人間関係が見えてきたことです。病気前までは、私にに協力的で、相談しながら進めてきた同僚が、相談無しに勝手に事業を推進したり、自分が作った分が変更されていたりとか・・・・しかし、廻りから見ると、いつ休むかわからない、あてにならない職員でしたので、このようなこともしようがない、耐えるしかないと自分自身でもある程度は思うほどでしたから。

 この時期、本当に悩みました。落ち込みもしました。会社をやめようかとも悩みました。会社をやめることは簡単ですが、やめれば家族が露頭に迷うこともわかっていましたので、余計に悩みました。生きていくためには、今の会社にしがみついているほかありません。

 また、上司もほんとうに心配してくれる上司と、使い物にならないと思ったのか、話しすらしなくなる上司もいたりで、人生の勉強になりました。
 そして、心から感じたことは「人間、健康が第1、出世やお金は2の次」ということです。

     
 
 
     
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